ウソ泣き、ウソ笑い
「試合中、いつも泣き出しそうな表情で盤に向かっている」というのが、学生時代の僕の特徴の一つだったらしい。らしい、というのは自分ではわからないから。囲碁の対局中に他の事を考える余裕はないし、当然、泣き出しそうというのも意図しているわけではない。でも、勝ちそうな時も負けそうな時も結果的に同じ表情になっているということ。外野から見ればこれもウソなのだろうか。
一方、これ以外の場面では、悲しいくらいに感情を偽ることができない。ウソ泣きもウソ笑いも。必要な場面はあるはずだけれど、とにかくできない。したくない、という気持ちが強いからだろうか。いや、したくてもできないだろうと思う。
生活はすべて次の二つから成立っている。
したいけれど、できない。
できるけれど、したくない。
(「格言と反省」から 『ゲーテ格言集』 高橋健二編訳 新潮文庫)
したくなくても、ウソ泣きやウソ笑いができる人がうらやましい。これができなくて困る場面も多いから。ないものねだり、お互い様、そうわかってはいるけれど。
ちなみに最近では僕の対局時の表情を見てくれる人もいないが、学生時代ほど気持ちが入り込んでいないのか、特にコメントするほどの表情にはなっていないらしい。らしい、というのは自分ではわからないから。
というわけで、TBの練習でした。
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