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知らなかった

 以前出席した友人の結婚披露宴。他の友人からも「二次会はないんだって」と聞いていた。
 それが最近わかったのだけれど、実はあったらしい。

 さてここで問題。なぜ、二次会がないことになっていて、私は呼ばれなかったのでしょう?
 正解はないので、面白そうな選択肢を3つか4つほど考えてみてくださいな。

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ポルトガルが6-5でイングランドに勝ちました

 と言っていたのは、サッカーのユーロ2004の試合結果を伝える、ラジオの朝8時台のスポーツニュース。車の中で聴いていて「ずいぶん点数が入ったなあ」と思った。
 その後の説明によれば、延長の結果2-2で決着がつかずにPK戦に入り、PK戦の結果が6-5だったとのこと。それなら表現が違ってくるのでは? PKのことを触れずに「6-5で勝ちました」と言えば、90分と延長の時間帯でのゴール数のことを意味するのが通常なのでは?
 この番組のアナウンサーは、最後の締めくくりでもご丁寧に同じ表現を繰り返した。

 さらに、別の放送局の午前10時頃のスポーツニュース。同じ試合の結果を伝える中での一言、
「まだ詳しい情報は入っていませんが…」
 ちょっと待て。試合終了から何時間経っているの? キックオフは日本の早朝。そんなのんびりしたことでいいの?

 聴いてから時間が空いてしまったけれど、どうしても書きたかったので。

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囲碁と私(1)

 はじめにの続き。

 実は、囲碁よりも前に将棋を覚えた。父や親戚に教えてもらったのは、幼稚園の頃だったと思う。
 将棋のルールを知った後には、矢倉中飛車や穴熊などの戦法の本や詰将棋や終盤の手筋の本を十冊程度は買っていた。近所で行われた、大会とは言えないくらい小さな将棋会にも行った。私以外、まわりはおじさんばっかりだった。
 当時から、家族でどこかに出かけるような家ではなく、日曜日はずっとテレビを見て過ごすことも多かった。NHKの将棋番組はよく観ていた。将棋を放送した後に囲碁の番組がある。つけっぱなしのテレビに、囲碁の画面が映った。
 これが、囲碁との出会いだった。

 に続く。

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最近、ここにいらっしゃった方へ

 交換日記「37℃」が終了。7月7日までは見ることができるとのこと。blogができる前の時期、一人で書くよりも幅が広がるし、こういった形の文のやり取りも面白いものだと思った。
 あらためて、共同ライター2人と読んでいただいた方に感謝。ありがとうございました。

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ついに校長先生登場

 今までいろいろな先生が登場したファンタのシリ-ズ。夏休み突入直前に校長先生からありがたいお話が。
 「遅刻や居眠りでロスタイムが15日あるので1学期を続行」
 冷静に計算すると、1学期の日数の1/5から1/6くらいがロスタイムになっている。サッカーに換算すると7~8分もあることになる。こんなに長いロスタイムがあるというのはよっぽどのことだ。
 気になるのは、校長先生登場によってこのシリーズが終わってしまうのではないかということ。せっかく、最近になって面白くなりつつあったのに。

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1年間のアタマ代

 1ヶ月、1年という期間に、あることにどれくらい支出しているか、を不定期に書いてみようと。ええ、決して、決してTB期待ではなく。

 今回は、アタマ代。髪の毛関係でかかるお金の話。
 僕が行くのは道路を挟んで斜め向かいの床屋さん。子供の頃からお世話になっている。正直言ってヘアスタイルもその床屋のお兄さんにお任せだ。
 普段から短髪で、切った直後はシャンプーもほんのわずかで済む。涼しく、気持ちよく、幸せだ。でも幸せは長くは続かない。少し伸びてきて、後頭部のちょうどおでこの裏側あたりの髪に汗をかくようになると、もう切りたくて仕方がない。冬でも1ヶ月に1回は切ってもらう。夏場はもっとハイペースで、2ヶ月に3回、またはそれ以上。
 僕の散髪は1回3,300円。回数は年間に16回くらいだとして、年間52,800円。
 他には、寝グセ直しの整髪料。1本500円くらいで、年間5本くらい、これが2,500円。
 合計で約55,000円くらい。これは、少ない方?

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サイト名消滅? のピンチ

 あと少しタイミングがずれていたら、多数の被害者を出した大きな事件に巻き込まれていたかもしれない。という意味での、結果論的なピンチは何度かあった。でも、その事件の当事者や関係者がここを読んでいるかもしれない。だから、ココログのトラックバック野郎(トラックバック練習)のお題「人生最大のピンチ! 心臓に悪い…」に対して書けるピンチはない。
 だったらTBするなよ、と言われそうだけれど、実は今深刻なピンチがある。それが「検索上のサイト名消滅」だ。
 旧サイト(cancelledletter)の頃は、検索をかけると一応1番目に自分のサイトが出ていた。でも、今は違う。「追伸工房」で検索しても、TBなどの結果が出るだけ。これではいかん!
 まずは更新を頻繁にして、リンクを張っていただけるような魅力的な内容にせねば。道は遠い。

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囲碁と私(はじめに)

 ちまさんによれば、『ヒカルの碁』は各国版が出ているとのこと。すごいなあ。囲碁を打つ私から考えてすごいということは、囲碁を知らない人には想像がつかないのかもしれない。
 囲碁の世界大会でも、依然東アジア勢が強いものの、参加国数も増え、囲碁の広がりを実感できる。そう考えれば、各国版が出るのは自然な流れかもしれないけれど、やっぱりすごいと思ってしまう。

 ここを読んでいる人の中には、「ひざがわり」=「囲碁」と思っている人も結構いると思うけれど、囲碁を始めたきっかけなどを話したことはほとんどないような気がする。子供の頃のことをどこまで憶えているか自信はないけれど、20年以上の囲碁歴があればそこそこはスペースも埋まるはずなので、囲碁と私について書いていこうと思う。

 次回は、囲碁を始めたきっかけを。比較的珍しいパターンだと思う。

 に続く。

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笑顔って

 色々な方が「笑い」をテーマに書かれていて、それに釣られてつらつらと。

 マクドナルドのレジには、店員の目に入るように「スマイル」という文字がある。
…これは3へえくらいでしょうか。
というわけで本題。

 「笑顔が素敵」という言葉から、どんな時の笑顔を想像しますか? mkさん
>>みんな練習してんの?
と書かれているように、普段からの心がけが大切なのかなと思ったり、nobukoさんのように
>>私は、人から『なんで笑ってるの?』なんて言われるくらいいつも笑顔っぽいです。
という自然体の人もいる。共通しているのは、多分、日常の中のごくありふれたシーンでの笑顔であるということ。
 僕にとっては「笑」という文字はどうしてもお笑い・演芸の意味になってしまう。学生の頃は寄席に何度も行っていたし、…と書いていたらまた行きたくなってきた。そんな僕が笑っているのは、日常よりも落語や漫才を見て大笑いしている時、ということになるのかなあ。
 けろちゃんが書いていた、
>>「笑うこと」というのは、科学的に人間にとってとても大事なこと。
 これと似たようなことを、寄席で噺家がよく言っている。「笑うということは健康に非常にいいことで…」というマクラは結構耳にする。そうだ、大笑いだ、と自分に言い聞かせてみる。寄席に来ている客の間に成り立つささやかな共通理解。その狭い空間の中では、みんなが「素敵な笑顔」ということになる、ということにしておこう。無理やりだけど。

 でも、その空間以外では、「笑顔が素敵」なんて一度も言われたことがない、それは素敵じゃないから、よって仕方ない。でも、ないものねだりでも何でも、とにかく羨ましい。
 ウソ泣き、ウソ笑いで書いたとおり、僕の場合は囲碁の対局中の苦悩の表情の方が周囲の印象に残っているようで。でも、zinさんが書かれている、
>>元々、笑いってのは緊張のあと、
>>緊張状態が解除された事を仲間に知らせるために生まれた情報伝達手段である模様。
これは対局後の僕の姿そのもの。元々の笑顔に近いこの状態が素敵じゃないのなら、諦めるしかない、か。

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もしも、今僕が10代前半で、ネットを使っていたら

If I were...
 実は僕も似たようなことを考え始めていたので、まとめてみる。

 次のように仮定する。
 もしも、「今」僕が10代前半で、この時代にネットを覚え始めて使っているとしたら。
 10代のくせに、親の干渉も受けずに通信代も気にせずに自由にネットができて、僕がネットで何をしているか、親も全くわかっていない状態だとしたら。
 (現実の僕の家庭はそうならないけれど、あくまでも仮定の話で。)

 ネットの世界をよく知る大人にきちんと教えてもらう機会があれば、そんなに大きなトラブルにはならないと思う。自分で判断できずに、その大人に細かいことまで相談してしまうだろうから。
 ただ、自分や同世代の友達だけで本当に勝手にやっていたら… と思うと恐ろしい。犯罪をすることはなくても、書き込みに対して過剰に反応したり、トラブルに巻き込まれていたことは想像がつく。また、自分以外に話を広げるなら、いじめの手段に使われていた可能性は高いと思う。
 ただ、自分を含めて、10代前半でそんなにネットを使いこなせるだろうか、という疑問はある。80年代半ば頃の僕たちは、そんなスキルは持っていなかったと思うけれど。それとも、それなりの時代に育てば僕たちも違うスキルを持ったのか… なお、ここでいう「スキル」は掲示板の記事を編集したり顔文字や絵文字を効果的に使ったりするという意味であって、人間関係を損ねないようにネットを使うという意味は入っていない。

 僕は、少なくとも自分に関しては、ネットや携帯電話と接するのが大人になった後でよかった、というのが正直な気持ち。そして、メールを始めた頃に、いろいろな人から仕組みやマナーを教えてもらえて幸せだったと思う。今に比べてネット人口も少なくてポピュラーなものではなく、「教えてもらわなければ自分にはできない」と思えるような時代でよかったと思う。

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面白そう、だけど…

記事その1
記事その2
 地下鉄の窓からアミノ式のCMを見ることができるという。しかし、やっぱりこのCMはあの音楽がないと…

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5秒でいいの?

 みの氏が司会をしているある番組で、節約ドライブ術を紹介していた。アイドリングが5秒以上になる場合は、エンジンを切った方が得になるという。これを見て驚いた。
 というのは、何年か前に「アイドリングストップをするかどうかの目安は約1分」という新聞記事を読んだ記憶があったから。その記事は環境対策の視点で書かれていたものなので、損得勘定とは目安が違ってくるかもしれない。でも、5秒と1分では違いが大き過ぎる。真実はいずこに。

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いつの間にか

 「新聞の読み方」
 いつ読むか、どこで読むか、どんな状態・環境で読むか、どんな視点で読むか… については、日によって違う。でも、多分20年以上前から変わらないことが一つある。
 一面を読んだ後は後ろの面から読む、ということ。
 どうしてこうなったか、わからない。強いて可能性を挙げるなら、4コマ漫画を早く見たい、という気持ちがあったのかもしれない。全部の面を熱心に読むわけではないが、とにかく、気付いたらそういう読み方をしていた。たまに、わざと一面から順番に読もうとする時もあるけれど、リズムの違いを実感する。

「パソコンで文章を打つ時」
 普段の文章を打つのにキーボードを使うようになってから、もう10年以上になる。今この文章を書いている時もそうだけれど、やたらと短い文節で変換してしまう。さらに言えば、句読点を打つ前に変換・確定してしまい、句読点を単独で変換していることも多い。
 意識せずにしているケースも含めれば、自分の実感以上に細かく確定していることになる。今でこそ自宅PCは自動的に順次変換してくれるけれど、こまめに確定させて誤変換がないかどうか見る方が安心して打てる、ということなのかもしれない。

「早押しには自分も参加」
 テレビのクイズ番組を観る時、早押し問題では自分も参加しているような感覚でボタンを押すような動作をしてしまう。ボタンはないので太ももを叩く様な感じになる。
 この時、ボタンの押し方にポイントがある。上から真下に押す動作は、一旦手をわずかに上げてから押す感じになりがちなので、タイムロスが生じる。よって、斜め下にボタンをこすりながら下ろすような動作が良い。このごくわずかな差で早押しで負けることもあるのだから。…もっとも、クイズ番組に出ることなどないのだが。

 というわけで、ニフティのココログ、今回のトラックバック野郎のお題は「やめられないクセ大公開」。思いついたものが3つ。せっかくなので全部書いてみた。

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