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「たほいや」の面白さ、この学生たちに通じるだろうか

 ymさんゆうらさんが書いている、学生の日本語力低下。こりゃひどい。背景や原因は入試制度だけではないだろう。本離れ、字を手で書かなくなった、学習内容の削減、といろいろ理屈付けができそうだ。一方でymさんの見方もなるほどと思える。
 でも、元記事に出ているように大学が訓練に乗り出すというのはどうなんだろう。そんなことまでやっていたらたまらない、というのが大学側の気持ちではないか。

 言葉が軽視されているのであれば非常に悲しい。と同時に、やがて仕事で後輩や部下として入ってくる人たちであることを考えると、どのようにコミュニケーションをとるのだろう、と心配してしまう。
 言葉だけで伝えようとして各自が工夫して書き込んでいた、ニフティのTTYのフォーラムが懐かしい。現実として、これがなくなってしまうのは時代の流れで仕方ないと思うけれど、言葉だけで惹き付ける魅力あるblogをたくさん知っている。そして、コメントやTBによってTTYのフォーラムに通じるような雰囲気を感じている。

 そういえば、理系の数学力がひどい、という新聞記事を読んだのは何年前だろうか。国立難関大学の理系学生を対象としてルート49=という問題自体にも驚いたが、正解率が100%でなかったことにさらに驚いた。誤答が書き間違いであったことを祈る。
 ただし、問題自体は他の学生にも共通で出題していたものかもしれない。

 日本語力の記事を受けて、普段から思っていることを書いてみる。
 一昔に比べてテレビ画面上の文字が増えた。目撃者や専門家、あるいは芸能人やスポーツ選手へのインタビューで、本人がしゃべった内容がそのまま文字になっている。あるいは、解説・ナレーションなど、画像にしゃべっている本人が出ていない場合も、音声と文字の両方で伝えられる。
 そのこと自体をあれこれ言うわけではないが、とにかく、この文字の言葉がひどい。「本と手に取った」のような助詞の間違いもあれば、慣用句が違っているものもある。しゃべりだけならその場の言い間違いかもしれないが、文字が付いているということは完全に間違っているということ。仕事として文字を出しているのに、そんな欠陥商品を出して恥ずかしくないのだろうか。
 また、インタビューで発言内容と違う言葉を文字で表示して、微妙にニュアンスが違っているものもある。これも良くないと思うのだが。

 聞くだけの場合は意味を考えながら自分で音を文字に結び付ける作業が必要になるが、文字が表示されるとそれもなくなる。こんなことも、日本語力の低下に結び付いているのでは。

追伸:本題とは別だが、引用したgooの元記事の【問題の例】の数値を見て不自然さを感じた人はいないだろうか。3問とも、回答が見事に回答者数の1/6単位で割れている。元記事が正しいとすれば、母集団はかなり大きく、その中での「中学生レベル」の人数もそこそこいるはずだが、3問の回答結果は偶然か? それにしてもこの偶然はすごい確率だが。

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コメント

それを売りにして学生が集まって就職できるようなら、やるようになる大学も出てくるでしょう。

なお、大学進学率が高いアメリカの田舎の某大学の学部教育では「作文」などのほか「離散数学」なる科目が必修ですが、中身は分数の足し算・引き算を含みます。本当に出来ないらしい…

ただし日本もいずれそうなると思うのは悲観的に過ぎるかもしれません。
内部の大学院生を非常勤教員として授業を担当させるなど、正規教員の負担を減らす方策が必要ですが、現行規定では禁止されているようなので。

投稿: ym | 2004.11.26 03:29

ニーズがあれば「売り」にする大学は出てきそうですね。本音は「大学以前でやってきてくれ」かもしれませんが。
入学させるのが問題か、いや、卒業させなければいいではないかということになるのか。どうなんでしょう。

投稿: ひざがわり | 2004.11.29 22:50

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