そうかなあ、と自分では思うけれど
約10年ぶり、いやもっと経っているだろうか。「てへんは、はねる」で紹介したこともある、高校時代にお世話になった先生を当時のクラスメイト2人とともに訪ねた。午前中だけという短い時間で失礼してしまったので、それほど多くの話はできなかったが、気になった言葉が2つ。
「外見が変わってないな」…喜んでいいのかどうか微妙なところ。それでも、高校時代から比べると10キロ近く太っているはずだが、それは含まないようだ。
そしてもう一つ、3人のうち僕だけが独身だったので言われたのが、
「顔で選ぶなよ」
…僕は顔で選ぶタイプだ、と思われているのだろうか。複雑だ。
追伸:「顔はやめときな、…」 いや、何か違う。
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コメント
今日会社の飲み会に参加してきましたが、上司に「面接の写真と現れた本人が全然違った。サギだと思った」といわれました。面接の写真は当時から2年ほど前の写真だったのですが(^^ゞ(ちなみに前の会社の面接でも同じ写真を使ったのですが「サギ」といわれました。なんでだろー)
ひざがわりさんは「美貌」というか「形式美」にこだわりそう。なんでかな。
投稿: bun | 2005.10.08 01:37
顔写真、どんな表情のものを使うか、迷うようなことはないですか。サギと言われない程度に、誤差の範囲でよく見せるのが僕の理想です。
形式美、確かにそうかもしれません。ないものねだり?
投稿: ひざがわり | 2005.10.09 00:31
面接の顔写真は、jpgにしてくれた写真やさんがたまたまあったのでそれを使っています。とはいえ、2社前からだいぶ見てくれもサイズもかわってしまったので「サギ」といえばそうかも。
形式美・・・なくはないでしょう。要求水準が高そうだけど。
投稿: bun | 2005.10.09 15:42
先生の言葉を借りれば、僕は2年前でも多分大丈夫なのでしょう。でもよく考えれば顔写真を使う機会がほとんどないことに気付きました(笑)。
縦書きへの思い入れも形式美? でしょうか。
投稿: ひざがわり | 2005.10.14 23:18
「形式美」もしくは「様式美」にこだわりが?
極めれば「道」になりますよ、きっと。
(内容が伝わるほうが大事、と言っていたような気もするけど?)
投稿: kitacopa | 2005.10.15 19:54
囲碁において「形」の重要性がわかってきたことと関係があるかもしれません。理屈抜きに「形がこうだ」という感性がないと勝っていけない。そこからはどんどん差が開いていってしまうのが怖いところです。
投稿: ひざがわり | 2005.10.15 22:18