小学校1~2年の頃はほぼ毎日日記を書いて担任の先生に見せていた。クラス全体でそのような習慣があったわけでもないけれど、なぜか続けていた。だから、その日記に書いたという記憶によって、その2年間に起きたことだという憶え方をしているできごともある。
何が元ネタでそうなったのかわからないが、僕が2位関係の話を日記に書いたのだろう、先生からの返事にこう書いてあった。
「1位と2位は一つしか違わないけれど、優勝と準優勝は大きく違うね」
20年以上前の言葉を、このような形で思い出すことになるとは。
囲碁の県大会、トーナメントの決勝。勝てば優勝で全国大会出場という試合。去年は1回戦で、その前年にも2回戦で、さらに去年の別の大会でも負けている、連敗中の相手。でも、決勝進出自体が久々のチャンス。ああそれなのに。
通常、百数十手くらいは進む囲碁の対局。でも、数十手でつぶれてしまった。相手の狙いを「こんな無茶な方法、あるわけない」と思った僕。相手の判断はその真逆。柔道で言えば開始15秒程度での一本負け。
ただ、前に書いた「思い込み注意報」とは内容が違う。ちょっと注意すればわかることが思い込みによって見えなくなってしまうのが「思い込み注意報」。それに対して今日の判断の誤りはそもそもが違っていた。でも、観戦していた方も僕と同じように考えていて、結果にびっくりしていたようだった。
対局が終わって閉会式、そして帰宅。でも、2時間以上経っているのに食欲がそれほどなく、手も若干震えている。何とか夕食はいつもどおり食べたつもりだけれど、風呂に入るときに体重を量ったら昨日に比べて0.7キロの減。ペア碁(囲碁のミックスダブルス)で負けてパートナーが泣き出した時以来の落ち込み方かもしれない。
優勝を逃したとはいえ、立派な成績じゃないか、と言ってくれた人もいた。閉会式直後、たまたま別件で電話で話した、囲碁と全然関係のない方にもそのように言われた。「優勝できなければ2位でも8位でも変わらない」という思いはあるが、やはり2位は他の順位とは違う。いい意味でも悪い意味でも。最後に決勝戦を負けて終わる。どの大会でも誰かが経験していることだが、今回は消化するのに時間がかかりそうだ。
どの対局もいつになくドキドキしていて、半目勝ちだったり時間切れ勝ちだったり、ぎりぎりの勝負。囲碁部での時間が僕にとって全てだった学生時代を思い出すような対局内容。まだ気持ちが落ち着かないが、明日から仕事に追われる毎日が待っていることは、かえってありがたいことかもしれない。
追伸:明日の新聞を見て声をかけてくださる方がいるかもしれない。僕の気持ちとのギャップが大きそうだ。
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